「探究」について
新学習指導要領において、一番注目を集めているのが「探究」関連の活動と言っても過言ではないでしょう。
新型コロナで影薄いですけど・・・汗
実際「探究」と思われる活動はカラフルでも以前から行ってきました。
でも、明確にどんなものかは打ち出してはいませんでした。
学校においても、以前から「総合的な学習の時間」が設けられ、いわゆる「探究」の学習は行われていました。
したがって、新しいものとも言い難いこの「探究」ですが、現代社会や生活面における問題など、生徒が「自らの力で解決する」ことが前提になっていることはひとつの大きな目標にはなっているかと思われます。
それから、時代背景として、近年は教科横断的な学びが求められる機会が増え、総合的な判断力養成を促す場が求められている、というのは想像に難くないですね。
期待できる効果
自分で調べて自分で発表する、という一連の作業をどうも「探究」と呼びがちなわけですが、こうした作業を多く実践していると感じている生徒と、学力が高い生徒との間には相関関係があるという報告があります。
特に、基礎的な問題より、応用問題において相関が強く見られるということが興味深いです。
単純に探究学習をやれば成績が上がるわけではないのでしょうが、自分の興味を深める活動を体系的に学んだり、他の人の方法を見て考えたりすることは、他の教科にもいい影響を及ぼすということなのでしょう。
まあ、当然といえば当然な気もしますが、どうなんでしょうか?
体系的に・・・
「体系的に学ぶ」と自分で書いてみて気付いたのですが、探究の手法ってまだそこまで体系化されていないのかもしれません。
ここ最近は学校側でも相当実践例が報告されているようですが、学習塾でも様々な取り組みがあちこちから聞こえ始めています。
探究を授業の中心にしている塾も出てきています。
こうした塾は、集客の時点でかなり生徒を選ばないといけない現実に直面しているか、うまく探究好きな生徒だけを入塾させる流れを掴んでいるかに分けられるはずです。
なぜなら、学力との相関が高いことが分かっているから。
探究学習をやることで成績アップしました!と謳えるのをリスクと取るか取らないか、ということです。
ここがまだ如何ともしがたい部分だし、大きな課題だろうと私は考えています。
四つのプロセス
探究的な学習のキーワードに「四つのプロセス」というものがあります。
- 課題の設定
- 情報収集
- 整理・分析
- まとめ・表現
これをベースに考えをまとめていくわけですが、答えがない分評価のポイントをどうすべきかが問題になってくるため、どこまでで終わりとするのかは非常に難しいところです。
また、会社などの組織としての在り方を学ぶという観点では非常に良いのですが、学校の中でどこまで経験させていくか、あるいは塾であればどこまでニーズに応えていくべきかは、これまた正解が無いため難しいと言わざるを得ません。
個人的な感覚を少し述べますと、オンライン上でのディスカッションの場に参加する機会が多い自分の場合、答えが無いのを良しとする話し合いが圧倒的に増えてきており、議論そのものを深めるよりは各々の感覚を確かめ合う、つまり、四つのプロセスのところの「情報収集」の段階でも十分学びがある、というのはあります。
ただ、これは大人がある程度客観的に物事を見た場合の話であって、実際子どもたちだけで議論を展開させることができるかというとまた状況は違ってきます。
理想
探究型の学習を進める上で、調べたことが徐々に繋がっていくことで見えてくる新しい発見がもっとも狙いとしてはほしいところです。
加えて、その発見が、誰かの役に立ったと実感できたり、あるいは反対に、誰かの発見が自分の新しい気づきになったり、というのが醍醐味であり理想です。
ここに一緒に学ぶという喜びが芽生えてきたらしめたもの。
ただ、塾で似たような授業を実施するとき、あえてチームから離れて自分1人で解決しようとする生徒も一定数いるということは書いておこうかな思います。
自力で解きたいという意識の高い生徒、または誰かと一緒に考えると思考がまとまらなくなる生徒などなど。
体系化が進めば進むほど、一見浮きがちな生徒への対応もマニュアル化され、つまらない指導になりがちなので、そこは常に気をつけなければならないなとはいつも考えています。
1人でやりたい人は1人でやればいい。
けど、1人でやる時間を尊重しつつもずっと1人でやらせることはしてはいけないなと考えています。
探究のテーマについて
まことしやかなイメージ先行なところとして、いわゆる進学校の生徒にとっては探究型の授業は有効なのではないかという見方について考えてみたいです。
それは学力との相関関係があるという話からもある程度想像できます。
でも、人は学力に関わらず、それぞれが話し合い議論を重ねることで物事を決定していきますので、こうしたイメージが先行するのは非常にもどかしいところです。
一人一人の個性を受け入れ、その上でより良いものを見つけていくところに探究の極意があるような気がしているのですが、まだまだ矛盾するところが結構あったりするので、自分の中でももう少し整理が必要だなと思っています。
例えば「学力」という言葉を使っている時点で違和感がありますし、体系的、プロセス、といった考えを取り入れる必要性を感じる一方で、自由な発想が求められる探究の場にそういった縛りは不必要なのではないか?と思う自分もいたりするからです。
こうしたゆらぎのようなものが、思考する上では非常に重要なのは分かっているのですが、どうしても限られた時間内である程度の結論めいたものを出さざるを得ない現場においては、やはり表面的なものが幅を利かせてしまうような気もしていて「じゃあ次も続きをやってみようか」がもう少し許されるようになればいいのにな、とここまで書いてみて思いました。