これまで目にしたことのない光景に絶句した。
10月13日、台風19号が通過した翌日の写真。
田園地帯が見渡す限り湖と化していた。
声なき声に耳を傾ける
13日、これは大変だと思い、自分なりに地元の情報を集めようとした。
だが、なかなか詳細が掴めなかった。
15日夜、大崎市の災害ボランティアセンターが開設されたのを知った。
16日、社協(社会福祉協議会)の特設テントに行き、受付開始時刻の朝9時に手続きを行った。
ボランティアは私1人だけだった。
手続きの途中、某市議がやってきて、情報を確認していた。
矢目のサテライトセンターに配属された。
矢目地区の被害情報は、これまでほとんど報道されていなかった。
名蓋川決壊で水田から多量の稲わら流出、宅地覆う 大崎・古川
https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201910/20191016_13036.html
河北新報オンラインニュース
実際、報道されたのは16日になってからであった。
サテライトセンターには社協の方が10名、地区の民生委員の方が4名いた。
10時半まで何もせず待機していた。
待っている間、スタッフの方に温かいコーヒーをいただいた。
1件、李埣地区から依頼が来た。
土のうを移動してほしい、という内容だった。
4名で向かった。
道中、スタッフの方の1人が、
「誰かがやり始めないとこういうのは動き出さない」
という話をしていたのが頭に残った。
現地に着き、依頼された方にお話を聞きながら対応した。
こちらに伝わっていた内容と、実際に頼まれた作業は異なっていたようだったが、こうしたケースは往々にしてよくあることらしい。
依頼された方は満足しているように見えた。
依頼者のご希望に応えることが、一種のメンタルケアになると感じた。
李埣地区に被害の情報はなかった。
しかし、この方が電話してきたことで、新たな被害を把握できた。
声無き声にいかに対応するかがどれだけ難しいか考えさせられた。
まず声を出すこと。
被害に途方に暮れつつも、自分たちだけでなんとかしようとしている方々が実は非常に多いということが分かってきた。
ワラの撤去作業
矢目のサテライトセンターに戻った。
時刻は11時半を過ぎていた。
新たに来たボランティアの方がすぐ近くで作業しているとのことだった。
少し急いで持参したおにぎり2個を飲み込んだ。
12時過ぎ、矢目の床下浸水した方のご自宅に移動。
広い敷地全面にワラが広がっていた。
それでも、作業はある程度進んでいて、ワラを集めた大きな山がひとつ出来ていた。
私が到着した時、4名のボランティアの方々は昼休憩を取っていた。
めいめい軽食をとっていたが、全域が泥に覆われていて座るところがなく、全員立ちながら食べていた。
挨拶もそこそこに撤去作業に加わった。
ひたすらワラを集め続けた。
日差しが強く、体力は消耗しやすかったが、みんなで声を掛け合いながら作業した。
全員大粒の汗を流していた。
出先から帰ってきた家主の方や、その仲間の方も数名加わり、およそ2時間半掛けて作業が終了した。
ワラの山は2つになっていた。
作業後、ご年配の家主は、
「こんなに早く終わるなんて・・・涙出る」
とむせぶように呟いた。
差し入れでいただいた缶コーヒーがしみた。
大量のワラが多くの排水口を塞いでしまったのが、水が溢れてしまった要因という話もされていた。
ワラは片付いたものの、農家である家主の方の被害は相当なものだった。
数百万円はする脱穀機など、農作業で使う機械が浸水したという。
コンバインなど動かせるものは動かしたというが、家族もいる中、水がいつ押し寄せてくるか分からない状況での作業は恐怖しかなかっただろう。
一段落したところで、隣の家に出動要請があり徒歩で移動した。
午後から参加したボランティアの方が6名奮闘していた。
もうほとんど片付いていた。
大崎市のボランティアの現状
2015年の水害の際もボランティアで参加したが、平日というのを差し引いてもボランティアが少ないように感じた。
しかし、宮城県全域では、甚大な被害があった丸森町、大崎市であれば鹿島台にボランティアを希望する方が多いということが見えてきた。
実際、県外からの問い合わせも多いという。
そのため、情報が乏しい古川や三本木へのボランティアが少ないというのも仕方がない、ということだった。
その分、社協の皆さんのサポート体制が充実しているのを目の当たりにして、もどかしさを感じるところがあった。
しかし、情報も徐々に拡散し始め、これから参加者は増えていくのではないだろうか?
災害ボランティアは、午前や午後だけの参加だけでも構わないとのことだった。
【台風19号情報】ボランティアセンターを設置しています
宮城県大崎市公式ウェブサイト
私たち大人は、報道がないというだけで実は近隣の現状が把握できていない。
中高生はSNS上でリアルタイムに情報を把握していたというのに。
個人的には、被災された方の声を拾い上げる側と情報発信する側の接点をどうにか広げる体制づくりが必要だと感じた。
声無き声になんとか応えたい人たちは、私たちが想像する以上に身近にもたくさんいるのだから。