この本に出会って、もう1年半。
未だに組織運営の話となると「ティール組織」・・・。
理想と現実
フレデリック・ラルー著の「ティール組織」を手にしてから1年半が経つ。
それからというもの、様々なアプローチで本に書いてあるような組織作りを目指してやってきた。
しかし、なかなかそれは思うようには行かず、理想と現実との間で揺れ動いてばかりいた。
とはいえ、この本を見ると自らの理想を思い起こすに足る何かがいまだにある。
これはとても不思議なことで、もうずいぶん前に衝撃を受けたことがまだ昨日のうように覚えているということにほかならない。
というわけで、久々に読んでみた。
思想に影響を与えたと言われている「インテグラル理論」を読んだ後だけに、尚更興味は増すばかり。
ただ、当時ほどの衝撃を受けたかというとそんなこともない。
組織論とはなんたるか、について自分なりに悩んできた分、比較的に冷静に読むことができた。
中里教室で目指したもの
初めて読んだ頃は、まだ中里教室を出す前だった。
この本を読んで、中里教室を組織論的に上手く運営できないかと、想いを巡らしたものだった。
一人一人がアメーバ状に、問題意識を共有しながら、自由な立場で動き回ることが実現できたら、本当に夢のようだとも思った。
その挑戦は今も続いている。
塾が一つの生命体と(組織)して、ホールネス(全体性)の考え方をいかに感じあえるか、というのは、現時点では「チームで生徒1人を支える」という点において実現に向かっている。
スタッフや生徒を信じ抜くことで、可能な限り手を離し、場の声に耳を傾け、自主性と放任のギリギリのラインをここ数年は狙ってきたものだった。
この挑戦は、塾という箱を超えて、生徒の動きに能動的に合わせてサポートできる体制という形で整備が進んでいる。
もはや塾は、塾という箱だけでその存在意義を誇る場ではなくなってきたということだ。
オンライン授業を例に
具体例を1つ挙げるなら、2011年より取り組んできたオンライン授業がいい例となるだろう。
オンライン授業は今やカラフル学舎においては日常であり、地域を超えたハイレベルな指導は塾の無限の可能性を表現していると言っていい。
通塾しない生徒も在籍するようになり、情報共有の意識も高まった。
むしろ、遠隔指導するが故に、身近な生徒の管理方法の盲点に気付かされることも多くあった。
そうやって、生徒だけではなく、まだ直接会ったことのない先生とも打ち合わせする日々。
地域の子どもたちに最高の教育を届けたい、ただそう思って突っ走ってきたが、現時点ではこの大崎市にはインバウンド型が向いていると確信している。
もう、次のステージに進む時期なのだと思う。
組織運営とは自ら切り拓くもの
市場に目を向ければ、私自身が長年やってきたことは「自立指導」というカテゴリーに括られはじめ、コモディティ化を避けずにはいられない心境なのだが、おそらくこの状況は、私自身の理想と、その他の流動的かつ表面的なムーブメントとは今後も構造的に噛み合うことはないことを意味している(一方で同じような問題意識を持つ方々との繋がりが急速に広がっているわけだが)。
そもそも組織運営(私の場合塾)とは孤独なもので、誰かに教わったからと言ってその通りにできるものではないからだ。
ならば、私自身は何を目指しているのか、ということになってくるのだけれど、そこはティールの考えに未だ惹かれ続けるところに答えがありそう。
でもね、正直なところ、何度読んでもこの本、結局よく分からないw
多分、一生懸命語ろうとすればするほど迷宮入りするはず。
追記
読んでもよく分からない本が、どうして気になってしまうのか。
この記事を書き終えてからもぼんやり考えていた。
あ、もしかして、と思ったこと。
ティールは目指すものではなく、単なる結果に過ぎないのではないか?ということ。
ああ、なるほど。
現時点ではそういう理解で一旦休憩w