新学習指導要領について考えてみた

改訂ポイント

とりあえず、この2点を押さえておけばOK。

  • 知識の理解の質をさらに高め、確かな学力を育成
  • 一体的改革の中で実施される改訂

「知識の理解の質をさらに高め、確かな学力を育成」←ち、抽象的すぎる!!
現状に満足せず精進を重ねなさい、ということなのでしょうか?
一応前段には「知識および技能の習得と思考力、判断力、表現力等の育成のバランスを重視する現行なんたらかんたら・・・・」とありまして、現状維持をしつつ今よりいい教育をやっていこうじゃないか諸君!という内容になっておりますw

次に「一体的改革の中で実施される改訂」って何??となるわけですが、基本的には小中高の連携を強化しなさい、ってことを「一体的」という言葉でまとめているわけですね。

主体的・対話的で深い学び

このキーワードが一番耳にするし使われている言葉かもしれない・・・。
何ができるかを明確化して、3つのポイントでまとめたもののことを指します。

  • 知識および技能
  • 思考力、判断力、表現力等
  • 学びに向かう力、人間性等

「知識および技能」についてですが、知識を相互に関連づけて物事を考える力が非常に乏しくなってきているのは塾でも感じていることなので「思考力、判断力、表現力等」を養うことも合わせて改善できないか、というのは分かるなといったところ。

今年は「表現力」に着目し、コミュニケーション学を念頭においた演劇教育にも着手していく予定です(→現在仙台の演劇関係者と学校・教育関係者の座談会に定期的に参加させていただいております)。
これからの塾は、ただ勉強を教えるだけではなく、将来の人間形成に役立つものを提供していく役割も求められてくるのでしょうね。
だからこそ、勉強で結果を出さないと淘汰される動きが怖すぎる・・・w

それから「学びに向かう力、人間性等」といった部分についてですが、学びに向かう力に関しては、ある程度ゴール設定などコーチングの手法が固まってきているので大半の生徒に対しては大丈夫。ただ、問題は、既存の働きかけには乗ってこない生徒へのアプローチですよね・・・。

毎回思うのですが、これからの塾は一体どこまで「教育」に応えて行けばいいのかは非常に考えさせられるところです。

もはや、塾という概念を取っ払ってしまった方が、むしろ自然に思われる時代がもうすぐそこまで来ている気がしてなりません。

主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善、というのも大きなテーマになってきています。生涯にわたって探究を深める未来の創り手をどんどん送り出していくのが目的とされているわけですが、こうした抽象的な表現をいかに現場レベルにまで落としていけるかが大事なことなんだと思っています。

科目を超えた活動や、知識を相互的に結び付けていく作業、情報を整え、問題点を洗い出すなどといった能力・・・・。

それにしても、すべてを体現している子どもってどれくらいいるんでしょうね?????
完璧すぎる。。。
けど、やはり指導する側の指針がはっきりしていないと全てが一過性のものになりがちなので、本来学校の授業の中で先生が生徒たちと新学習指導要領について話し合ったりするのいいような気がするのですが、もう実際やってるのかな??塾生に今度聞いてみよう。

理数教育の充実

教科内容の見直しとか、改善とか、調べていくといろいろあるのですが、その中でも特に「理数教育の充実」というのが塾的には気になりますね。

今、まさに来年度を睨み、数学専門塾的要素を盛り込んだコースの設立も視野に入れて動いているのもあり、もうあっちもこっちもなんですw

けど、それっていつものカラフル学舎ですし、生徒一人一人の目的って異なりますので、寄り添い型の授業を目標にしている手前、それはOK!としていますw

とはいえ、英語教育の充実や伝統や文化に関する教育の充実など、塾としてやってはいるけど明確な方向性を打ち出しているかというとまだ曖昧なところはあるかもしれません。

今は、勉強法とか、学習計画とか、以前までは個別指導スタイルの指導から、管理型の指導に変化して実績を出し始めている塾が多いですが、これは何度も書いていますが、その先には専門家、スペシャリスト一強の時代が来ると思っているので、本当に強い教科指導の先生をいかに集められるかが求められてくるところなんですよね。

けど、一方で、勉強以外のことも充実させなければ、生徒がおもしろくないんです。いや、とにかく勉強だけ教えてくれ、という強烈なニーズはこれからもずっと残るかとは思うのですが、そこに楽しさがなければ、今はなかなか誰もついてこないというのが実情かなと思っています。

懸念ポイント

国語で、論理重視に振りすぎた結果、文学に接する機会が減ることで、これ読んどくといいんだけどな・・・という本に触れる機会が激減してしまうのを心配する声が多いようです。

最近、時々青空文庫で文学作品を読んだりするのですが、森鴎外の「高瀬舟」あれ、本当に良かったです。

昔読んでさっぱり意味が分からなくても、若いうちに読んでおいて、大人になったらまた読み返す、というのはなんとも言えない味わい深さがあるのですが、こういうのがなくなって、小手先の論理だけ身に付けられてもどうなのかなと、確かに思う人はいるでしょうね。